当社が誇るエンジニア

入社時

平岡さんが計装業務の基礎を教わったのは、入社してすぐ配属された阿南事業所だ。一人暮らしと同時にスタートした新しい地での仕事は、慣れないことばかりだったが、「仕事を覚えたい」という気持ちだけは人一倍強かった。

※計装とは、発電所のプラント運転や管理を行うために水・蒸気・油などを計測・監視・制御する設備を担当する業務であり、発電所の安全運転には欠かせないもの。

流儀の原点

入社から1年半を過ぎたころ、神戸のメーカーへの派遣を命じられた。その会社が製造するのは車のATトランスミッションの試験装置、スキーリフトの制御ソフト、紙の厚みを均一にする制御装置など多岐にわたる。担当するのは、製品の品質管理だ。組立てが終わった制御装置の社内検査から客先での据付け後の検査、そして稼働後はアフターフォローまでを行い、客先からの仕様変更にも対応する。仕事は忙しかったものの、充実した日々を送っていた。
 そんな時、平岡さんのエンジニアとしての根本を形成する出来事があった。東京の展示会へ出張中、上司から電話が入った。「八戸のお客様に納品した装置の動作が不安定だ。お客様が再立ち上げを行うので向かってほしい」という、それも今すぐに。その日、神戸へ帰る予定であったが、180度方向転換し、寝台特急で八戸まで向かった。季節は晩秋、薄着のまま震えるように現地に到着した。そのまま客先へ向かったが、「今は再立ち上げができない。ホテルで待機しといてくれ」と命じられた。待機中のホテルで、お客様が自ら立ち上げ、無事に稼働したと聞かされた。エンジニアとして活躍の場はなかったが、お客様を最優先するメーカーの「お客様第一主義」を身をもって実感した。これ以降、「お客様第一主義」は平岡さんの仕事の流儀となった。

経験した大きな業務

その後、坂出発電所での計装業務に配属され、彼は大きな業務に携わる。2000年坂出発電所では、別々のところで行っている2、3、4号機の監視操作を集中化しようという動きがあった。同時に、従来は運転員がスイッチや計器を手動操作していたノウハウを専用ソフトにプログラム化し、すべての操作の自動化を進める。客先がグループ内で内製化を検討しており、システム構築を当社に持ち掛けてきたのだ。上司からの打診に平岡さんは「やります」と即答した。もちろん経験はなかったが「できるイメージしか思い浮かばなかった」という。この返答は、チャレンジ精神が醸成された職場の雰囲気と彼の気質から出たものかもしれない。
 集中化が完了するまでの8年にも及ぶ期間中、スムーズにいかないことも多かった。自動化に置き換える機器は1ユニットあたり400台を超える。機器の制御動作をソフトウェア化するロジックシートを、4、5人で1カ月半の間に4,000枚ほど書き上げるというハードなこともあった。完成し安堵したのも束の間、ロジックシートのミスが見つかり、翌日までに1,000枚を修正するという苦境に立たされた。担当者たちの疲労も限界に達していたが、誰も愚痴をこぼさずに徹夜で作業してくれた。チームの絆の強さを感じた出来事だった。そして、現在の中央制御室が完成した時、あるメーカーの方から「実をいうと四国計測さんがこのプロジェクトをやり切れるとは思っていなかった。いつか助けを求められると思っていたけど、結局最後までやりきりましたね。本当にすごいと思います」と言われた。心に染みたその言葉は、今も彼の仕事への原動力である。

プロとは

現在はエネ環統括部で管理業務を行っているが、今年、平岡さんが設計に携わった坂出発電所の制御装置が更新の時期を迎えている。品質管理者という立場で、月に一度現場で後輩たちにノウハウを指導している。現場に足を踏み入れると、我が家に帰ってきたような居心地の良さを感じるという。平岡さんが思い描くプロを尋ねると、「異常が起こった時、どう対処するかは、常にどれだけのイレギュラーを考えられているかだ。それがモノ作りに携わる人のスキルなのだろう」と多くの経験を乗り越えた説得力のある言葉で語ってくれた。

取材実施月:2020年6月

PAGE TOP