当社が誇るエンジニア

人物像

大西さんは、活字よりも数字が好きな少年であった。成長するにつれ、野球選手の打率や株価の変動の予測に興味を持った。学校の成績も国語は点数の半分ほどにしか届かないものの、数学・物理は満点に近かった。本人曰く「テストの答案のヤマを張るのがうまかったから」要領の良さは彼の天性の技なのかもしれない。

大きく踏み出した瞬間

入社後の配属先では、高い技術を持つ上司や同い年でありながらバリバリと業務をこなす先輩社員に囲まれて、エンジニアとしてのプレッシャーが圧し掛かったのだという。また、当時の設計作業は手書きで行う時代であった。「設計が全て」という考えの上司からは、少しでもミスがあれば何度も書き直しを命じられた。その度に一部または大部分を手書きで修正することになり、時に腹立たしさも感じた。しかし、設計がしっかりとできていれば、その後のプログラム処理がスラスラと進むのだ。上司の言葉が腑に落ちた。同時にそれは社会人として、またエンジニアとして大きく踏み出した瞬間だ。

流儀の原点

印象に残っている仕事を伺うと「入社間もない頃に大型クレーンの負荷を調べるソフトを作成したこと」と返ってきた。その業務は、午前中に客先から仕様変更の依頼がくる、一カ所でも変更があれば検査・試験を行わなければならないが、その作業に2時間ほどもかかってしまう。しかもそれが毎日なのだ。客先からの変更依頼が一カ月を過ぎたころ、だんだんと大西さんの集中力も途切れ始めてきた。ソフトは間違っていないという自信もあり、試験をせずに修正ソフトを送り返したことがあったのだ。しかし、その日のうちに先方から動作試験中のクレーンが倒れたという知らせを受けた。怪我人こそなかったものの血の気が引いた。それ以来、「やる時は徹底してやる」が彼の流儀となった。

これからの夢

勤続年数は30年を超え、シール検査装置・検卵機・レタス選別装置など現在も販売を行っている多くの製品の開発に携わってきた。研究開発分野での在籍が多かったが、この3月からは新設されたバイオシステム部長の職を任された。これからの夢を尋ねると「既存の医療製品を海外市場や再生医療向けに展開していくこと。そして新しい医療製品を開発していくこと」と熱い眼差しで決意を語ってくれた。数々の製品開発で培った高い技術と苦い経験が、彼を大胆かつ繊細に自分の夢へと邁進させるのだろう。


海外出張(フランス)にて代理店の方と撮影

取材実施月:2020年3月

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